同調圧力という、知性のかけらもないもの

カテゴリ:社会のこと

人はどこかに所属している限り、その内部に発生する同調圧力にさらされます。その同調圧力は強力で、ときには個人の意志や思いさえも潰してしまうほどです。そのような状況に身を置いている場合、その所属する場で、自由闊達なことなど言えなくなってしまいます。

たとえその圧力のベクトルがねじ曲がっていたとしても、です。

同調圧力という、知性のかけらもないもの

同調圧力に対して鈍感な人間は、知性というものに対しても鈍感です。理由は簡単です。同調圧力をかける側に自分が身を置いているということに関して無自覚だからです。無自覚であるがゆえに、そこに知性が働く余地などありません。

同調圧力というものは、知性を必要としないものです。

人間の脳は楽をしたがるということを幾度か書いたことがあります。これに当てはめて考えを進めると、知性を働かせるということは、楽をしたがる脳にとっては苦役でしかありません。脳というものは、そのような苦役をみずから進んで選び取るようにはできていないのです。

苦役を放棄したがる脳にとっては、知性を働かせることは、面倒くさいことです。同調圧力に任せていれば、知性を働かせることなどしなくて済みます。これほど楽なことはありません。

そうして、脳は思考停止します。

思考停止がもたらす「排除」

思考停止がもたらすものに、「自分の正しさを疑わない」「自分は正しさに基づいて行動している」という根拠のない意識があります。ここにも、知性は働いていません。知性があれば、その「正しさ」などはあくまでも相対的なものでしかないということが理解できます。

相対的であるということが理解できない思考停止した人間は、他者に対してその「正しさ」を押しつけることをためらいません。そして、その「正しさ」に対して疑義を唱える他者を、安易にレッテル貼りして排除しようとします。そこにも知性は働いていません。

つまり、思考停止し知性を働かせない人間は、安易な排除をおこなうという愚かな行為をおこなってしまうのです。近・現代史を少しでも紐解けば、こうした例は枚挙に暇がありません。

昨今見受けられる様々な言説を見聞するたびに、この「知性のかけらもない」行いが横行していることが、少々おそろしく感じたりしています。

 

 

「迷える人々」について考えるきっかけになった出来事

カテゴリ:淀姫日記, 社会のこと

かなり前のお話になりますが、若い男性がお一人でお祓いに来られたことがありました。
その方は、お祓いののち涙ぐんで「ありがとうございました。少し、スッキリしました。」とお礼の言葉を述べられました。

そのときあまり会話を交わせなかったのですが、どうもいろいろなことでお悩みのご様子だったようです。その表情からの推測ではありますが、精神的にかなり追い詰められていたと思われます。

言葉を持ち合わせていなかった後悔

お仕事の関係か、はたまた人間関係か、その抱えてらっしゃった悩みの原因は計りかねます。おそらくはいろいろなことがない交ぜになって、つらい時期をお過ごしになっていたことは、想像に難くありません。

若い男性がお一人でお祓いをお受けになって、しかもお祓いののち涙ぐんでお礼の言葉を述べられた。そのようなことは後にも先にも一度きりだったので、いまも深く記憶に留まっています。そして、あの時どうしてもう少しお話を聞いて差し上げられなかったのかという、後悔の念もわたしの中にもあります。

いまであれば、その方のお話をじっくりと伺って、追い詰められていたと思われるその心を多少なりとも解きほぐすことも出来ると思いますが、いかんせんその時のわたしにはそういう言葉を持ち合わせておりませんでした。

仕方がないといえば仕方がないことです。「たら・れば」を思い悩んでも、もう過ぎたことです。その時には戻れません。

いまは、あの方が少しでもお幸せになっていらっしゃれば、と願うばかりです。

カテゴリを追加して書き記していこうと

いまその時のことを振り返ると、その時のその方も、また「迷える人々」だったのだなと思います。自分の心の中にある、吐露できないものを抱えて、たったひとりで社頭に来られたことからも、それは間違いがないでしょう。

そのような方にかける言葉を持っていなかった。そのことが、「迷える人々」について考えるきっかけになりました。

これから折を見て、この「迷える人々」について書き記していきたいと思います。
「精神について」や「社会のこと」と少し重なる部分もあると思いますので、いくつかのカテゴリにまたがりますが、「迷える人々」というカテゴリを追加して進めていこうと思います。

 

「迷える人々」と「断言本」

カテゴリ:社会のこと

最近、書店に立ち寄ることが多くなりました。目的は、主に新刊本のチェックをすること。
部屋に本があふれかえっている状況なので、読みたい本を手当たり次第に買うなどという贅沢なことはできませんが、とりあえず興味がある本は図書館などで借りて読んでいます。

小説以外で、平積みになっている書籍のタイトルなどをざっと見ていると、近頃は「断言本」と呼ばれるタイトルが、やたら目につくようになったのを感じます。

「断言本」とは

「断言本」というのは、「○○しなさい」だとか、「○○する○○の法則」だとか、そういう類のタイトルがついている本のことを指します。とにかく、そういったタイトルの書籍が目につくこと甚だしい。

自己啓発本はもとより、健康関係、言論関係、ビジネス関係など、あらゆる分野に至るまで、そういったタイトルが目白押しです。そういった書籍は、大抵が棚ではなく平積みになっていることが多く、つらつらと棚を眺めていると、否応なく目につきます。

本のタイトルは、主に出版社側がつけるようになっているらしく、そのタイトルしだいで本の売れ行きが大きく左右されることが大きいと聞きます。なので、タイトルはできるだけインパクトをもたせるという風潮があるようです。

確かに「断言本」はタイトルにインパクトはあります。それに惹かれて購入する方も多いのでしょう。しかし、個人的には、そういったタイトルがついている本は、あまり読む気が起きません。手に取るのも恥ずかしい、というのが本音です。

わたしは案外とひねくれ者なので、そういった「断言本」に対して、「どういう人たちがこういった本を買うのだろう」という方に興味が行きます。

世の中が不安定に満ちている

あくまでも個人的な感想ですが、そのような「断言本」がヒットすると言うことは、それだけ世の中が不安定なのではないか。その不安定さによって、人々の生きる指針とも呼べるものが揺らいでしまっているのではないか。揺らいでしまっている以上、その心許なさを補い、指針として自分の中に取り入れようとしている のではないか。そう感じます。

この背景には、情報化社会による、情報の奔流があるように思います。その中で、人々は情報の過剰摂取を余儀なくされ、取捨選択をする余裕さえ失っている。そのあふれかえる情報を取捨選択する一つの指針を示すものとして、「断言本」に縋っているのではないか。

世の中が不安定に満ちている。その中で自分の立ち位置が不明瞭になってしまい、不安感を覚える。無理もなかろうと思います。誰だって自分の立ち位置が不明瞭な状態では、どうすればよいか、どのような方向に進めばよいか、明確にさせたい。そのような背景があって、このような「断言本」の売れ行きに繋がってい る。個人的にそんな印象を受けます。

迷える人々

世の中がどこに向かっているのか、自分の立ち位置がどこにあるのかわからない状態は、人間の精神にとっては、あまりよろしくない傾向ではなかろうか。書店の店頭を眺めながら、ついそんなことを考えてしまいます。

その傾向は、言葉は悪いですが、「迷える人々」を多く生み出すことに繋がりましょう。その「迷える人々」は、自分の立ち位置がどこにあって、これからの生き方の指針を、自分の中ではなく、外部に求める。そこで「○○しなさい」だとか「○○する○○の法則」という、鮮明なメッセージを前面に打ち出す「断言本」のインパクトは、強力なメッセージとして受け止められ、それを読んでとりあえず自分の不安感を払拭させる。

そんなことが起きているのだろう。そう思って久しい状況が続いている。これは、少々不健全なことではないか。同時にそのような印象も受けます。

得心がいくかいかないかで渡り鳥にもなる

そのような本を手に取り、読んで、そこで得心がいけば、それはそれでよろしいこと。それにより少しでも自分の立ち位置や、これからの生き方の指針を得られれば、それにこしたことはない。それはその人にとって、プラスの方向に働くのだから、よいことです。

しかし、人間というのは、そうそう単純にはできていません。手に取ったその本のすべてに対して、得心がいくかと言えば、大抵そんなことはあり得ない。そりゃそうです。世の中、誰ひとりとして同じ人生を歩んでいるわけではありません。得心がいかないところはどうしても出てきます。

全面的に得心がいかないと、それを補おうとまた別の本を手に取る。最近の「断言本」の売れ行きの背景には、こういったものもあろうかとも思います。とことん得心がいくためには、結局いくつもの書籍を渡り歩くことになる。いくつもの本から、いいところだけをピックアップして、満足を得られるまでそれを繰り返す。

そうして、「断言本」の渡り鳥になる人も多い。でなければ、ここまで「断言本」の売れ行きには繋がらないだろう。ひねくれ者のわたしは、そう考えます。まあ、憶測に過ぎないことではありますが、そんな状況が本当にあるのだとすれば、これもまた不健全きわまりないことです。

出版業界も必死なのでしょう

このような状況は、これからもしばらくは続いていくのでしょう。世の中が不安定に満ちている状態が続けば続くほど、こういった類の「断言本」はなくなったりはしない。出版不況と言われる現状では、出版業界側も必死になります。とにかく「売れるタイトル」をつけてインパクト勝負をしかけるのは、無理もない。供給する側としては、需要を掘り起こして、とにかく売らなければならない。それが、この現状を生み出している。

そんなことを考えたりします。