志佐くんち
ここでは、当淀姫神社の例大祭、「志佐くんち」についてご説明いたします。
概要
齋行日 | ||
宵祭り | 10月25日 | 午後7時 |
例大祭 | 10月26日 | 午前10時30分 |
御神幸式 | 10月26日 | 午後1時より |
流鏑馬神事 | 10月26日 | 午後3時半頃より |
お汐井(お潮井)汲み
本祭り当日、まだ夜も明けぬ早朝5時前に、総代会長さんがご自身手ずから御神幸式用の「お汐井」を汲みに行かれます。
御神幸式では、お汐井によってお神輿に遷された神さまが渡御する道中をお清めする重要な役割を果たします。
黄泉津国(伊耶那美尊(いざなみのみこと)が罷った(亡くなられた)後に行かれた死後の世界)から現世に戻った伊耶那岐尊(いざなぎのみこと)が、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原の清浄な海の水で、禊(みそぎ)をし、黄泉津国で汚れた身を清めた故事に由来するものと思われますが、あまり定かな由来は 判っていません。
蘇鉄団子を献納
例大祭「おくんち祭」は、まず神社裏手に鎮座されている岩屋様へ、蘇鉄の団子を献上する祭典から始まります。
これは、淀姫命がこの地に流れ着かれたときに、御厨の住民が蘇鉄の団子を献上したことにちなんでの祭典で、いまも御厨の木場地区に住んでおられる子孫の方が蘇鉄の団子をご神前に献上され、このお祭りを執り行います。
本殿にて祭典〜お神輿への遷輿祭
その後、いよいよ本殿で例大祭の祭典が厳かに粛々と齋行されます。
松浦地区の各神社の神職さんにお手伝いいただいての祭典は、平戸神楽奉納や、氏子総代会長をはじめ、各参列者代表による玉串拝礼などが執り行われます。
例大祭が終了すると、次は神殿にお鎮まりいただいている御神霊(神さまの魂)をお神輿に移し奉る「遷輿祭」(せんよさい)が齋行されます。お神輿へお移りいただいた御神霊は、各地区の氏子衆により担われ、お神輿行列として氏子地域へのご巡幸にお出ましになります。
御神幸式
記紀神話にちなんで、お神輿行列の先達は「鼻高様」と呼ばれて親しまれている猿田彦神です。真っ赤な顔で怖ろしげな表情をされている鼻高様に、小さな子供が泣き出す光景は、今も昔も変わらず微笑ましいものです。
流鏑馬神事
動画投稿サイト「YouTube」にアップロードしてあります。
上記のリンクを押して御覧ください。
※動画提供:黒川鐡雄さまより。
流鏑馬
流鏑馬とは「矢馳馬」(やはせめ)という言葉が鈍ったものと言われています。
疾走する馬から三カ所に設けられた的を射る行事で、平安末期から鎌倉時代に盛んに行われていました。
流鏑馬は五穀豊穣と地域の安寧を祈念して執り行われる神事です。この淀姫神社流鏑馬も、平安時代73代堀河天皇の御代、寛治二年(西暦1088年)には既に行われていたといわれています。
御神幸式が済むと、いよいよ流鏑馬神事が齋行されます。
本殿にて射手・神矢を清め祓い、神事の無事を祈っての祭典が行われ、本番が始まります。今も的風に当たると一年中病気にかからないと言われていて、その風に当たろうと、多くの方が観覧に来られます。
また、落ちた矢をひろうと良縁に恵まれるという言い伝えもあることから、馬が駆け抜けた後に、落ちた矢を拾いに行く方もいらっしゃいます。
流鏑馬神事は、まずやじりがついていない矢を各射手が3本ずつ射ます。その後、鉄のやじりがついた金矢を6本ずつ、計18本の矢が放たれます。
その18本のうち、何本が的に当たるかによって、翌年の五穀の出来高を占う神事でもあります。
以前は県内でもあちこちの神社で奉納されていましたが、時代が下がるに従って途絶えていきました。現在は長崎県内でこの神事を奉納しているのは、当社と長崎諏訪神社の2社となっています。
流鏑馬神事の終了をもって、例大祭「おくんち祭」は全ての神事を無事に終えることとなります。宵祭り・例大祭をはじめかく神事は、どなたでもご参列・ご観覧いただけますので、どうぞお気軽に淀姫神社へお越し下さい。