神社略記
夏の社殿
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鎮座地
長崎県松浦市志佐町浦免632番地
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創建
人皇第二十九代欽明天皇癸未二十四年(西暦563)旧九月二十六日鎮魂鎮座式あり
御祭神
御神徳
- 天文暦学
- 五穀豊穣
- 雨乞いの神
淀姫神社由緒
人皇十二代景行天皇 甲申十四年前二年後四年の六年間、筑紫(九州)の日向(宮崎県)に仮宮をお建てになっていた。戊子十八年九州御巡行の時此の地を清浄の場所として撰ばれ仮宮をお建てになった。
十四代仲哀天皇のお后であられた神功皇后が、新羅へ出兵に際し、外征は国家の一大事として諸国に使令を出して船舶を集め武器鎧をお揃えになった。
また皇后は、妹の淀姫命を松浦に遣わし兵と船を集められた。松浦地方の族長である磯良(しら)を伴い此の地の海辺・膳崎(かしわざき)に着船遊ばされた。
焚き火をしておられるとその火が御厨から見えた。この火を見た御厨の住民は皇后の妹君がお出でになると聞いていたので、さてはと思い来てみると果たして淀姫命の一行であったので、住民は用意していた蘇鉄の団子を差し上げ奉ると、その温かい心に感激遊ばされ美味しく召し上がった。(又一説にはお供の者が差し上げ たと記されている)
これに因んで今でも秋のお宮日大祭(10月26日)には先ず団子を献じてお祭りを行う。(団子を献ずる子孫が御厨町木場に在住)
淀姫命は松浦より出陣なされし時、沙迦羅龍王(さからりゅうおう)より潮満玉(しおみつたま)と潮干玉(しおひるたま)を借り、375人船に乗り組み、皇后と共に新羅へ向かわれた。対馬を過ぎやがて彼の地が見えだした。
潮干玉を投げられると海は50里ほど干し上がったので、新羅軍は喜び勇んで海の中まで攻めてきた。そこで潮満玉をお投げになると潮がどんどん満ち、陸の上まで上がり船は王城の門まで達した。
新羅王は和睦を乞い貢ぎ物を毎年送ることを誓い長い間届けた。淀姫命は御帰朝後、志佐の美しさと住民の暖かさをお忘れになることなく、病人の治療や干魃には雨乞いをなされた。